自身の表現についての自他の認識

形になって、広まったものが作風として認識される。

自身は、元々、重ためで暗く、硬質なファンタジーを(本業といえる詩含め)テキスト表現で書いていたのだった。

一応人目に触れる公的な形になっている・記録としても残っていることになる、ユリイカに初めて書き下ろした詩もそうだったし、それまで雑誌やWEBに投稿してきた詩も評が載ると、幻想とか夢(悪夢とか)というワードで語られることが多かったと思う。公に公開していなかった童話塾時代の作品にしても、塾内ではやっぱり同じように評されていた。

 

※当時の作品を確認できる書籍等のリンクを貼っておきます(補記:2020年)

 デビュー作が掲載されている「ユリイカ

  元々私家版で今はKindle版でしか残っていませんが、「ユリイカ」投稿時代の作品を含む作品集

Pilgrimage(ピルグリミッジ)

Pilgrimage(ピルグリミッジ)

 

  メリーゴーランド童話塾時代の童話集・長編等

 

その後に、個人で制作したゲーム「12亜神伝」「ユトレピアの伝説」などを公開してきて(フリゲもしくはウディタというコミュニティ内としても触れる人口の規模が狭い詩の世界とは違うから)広まってきた時に、その作品が自身の作品として認識されることを、あまり腑に落ちる状態にできないままいたと思う。これまでの、自分自身で感じる自身の(詩などテキストでの)表現との連続性や親和性とか、自身がこれまで(やはり詩などにおいて)どういう作風として周囲に認識されていたかということとの連続性とかにおいて。

あれらのゲームを、世界観やストーリーというテキストだけの面で捉えれば、夢とか幻想とかいう点においてはこれまでの創作と割と共通したものだとも思う。剣と魔法とかキャラクターという要素は入ってくるけど(これまでにも、そういう作品を書いたこともあったが)。

ただゲームである以上、グラフィックと音楽という面も込みで作風は認識されることに必然的になってくる(特に全て自作しているので余計そうだと思う)。

その時に、自身の表現はどう認識されるのか。

勿論、自分で意識的にしたことでもあるんだけど、あれをただステレオタイプなレトロ、という認識でそこどまりにされるのは本意ではないと思っている。

というのは自身なりにああいったいわゆるファミコン的なドット絵での表現というものに、童話的な表現との親和性というものを表現の可能性として見込んでいたということがある。例えばグリム童話や、日本だと松谷みよ子の民話などを読んだことがあるが、そこには込み入った・緻密な表現とは真逆の大変簡素な表現である故の、奇妙さやこわさというものがある。それはテキスト表現の話になるけど、絵本だと何だろうね…… まあそういう表現をゲームのドット絵に落とし込んでみることでの表現ということを考えていた(テキストの方もだけど)。実際にファミコンを作っていた人達がそういうことを考えていたともまあ思えず、当時は制限等でそうなっていたのだろうけど、自分はそういう奇妙さやこわさの妙というのを、当時の特にファミコンドラクエ、マザー、サンサーラナーガ貝獣物語などなどに見ていた。

初作の「Liberation From...」や「12亜神伝」には(そういったグラフィック的見地における)まだまだ試行や開発段階的な部分が多く見え隠れしたけど、「ユトレピアの伝説」は上述のような表現の一つの結実だったと思っている。

なのでまあそこまで読み取ってくれる人がどこまでいるかはともかく、「ユトレピアの伝説」が自身の中では一番代表作のようになったのは(今のとこね……)それなりに腑に落ちるものと考えていいのかなと思ってみている。自身では納得のいく表現ができた・成功したと言えるレベルには作り込めたし、レビューや感想にも上述のような意図において幾つも納得のいく反応が返ってきていたのも確認できている。 

ただの懐古的な作風と受け取られるなら本意ではない(まあ多くはそう取られてもいるんだろうなとも思うけど、そうじゃないと取ってくれている人もまあまあいるかなと思うし)が、「ユトレピアの伝説」や「ユカイナお遣い」が、童話やシンプルな絵本で表現されるようなどこか怖い夢のような、というニュアンスで作風が認識されているなら(少なくともそういう要素を作品認識の一つとしてでも拾ってもらっているなら)、それは自身の作風の一つであるから、自身でも納得できるかなという、話……。

まあでもやっぱり基本的には、1万DLとかあっても、ほとんどの人はあぁなんかファミコンみたいなのを作ってみた感じのゲームなんねという感じかもだけど……(とりあえずDLしただけとかさわりだけという人もいるだろうし)。

 

これからまた新作を作っていくことになると思うので(すみませんまだちょっと先かもしれないけど)、今後はより自身にとってのエッセンスを研ぎ澄まして独自に磨いていく方向でやっていきたいと思う。「ユトレピアの伝説」で追求したのでレトロという意匠は少なくとも全面には使わない、ということは前にも語ったかもだけど改めて。