ユリイカから巡り巡って

 「ユリイカ」から新人としてデビューした人種には、二つある。

 その後も「ユリイカ」や「現代詩手帖」に詩や評論その他をちょくちょく呼ばれて書いていく人種と、逆に「ユリイカ」にさえ全くその後書くことがない人種だ。

(続く……)

 私は後者だ。コネやその時の編集者の気に入るかどうかもあるだろう(私を新人に選んだのは編集部ではなく辻井さんだし)。私はとにかくそういうふうに詩壇や批評なりの分野で実績を積み上げていく道に行かないことになった。

 いずれにせよ詩だけでプロでやっていくことはほぼ無理なことだが、新人後の発表の場・プロとして書かせてもらう場すら持つこともできなかったので、まあやり直しというかまた自分で表現できる場を見つけるしかなかった。

 その間にも幾つかのことがあったが、その内にちょうど自分が発表の場として確立しつつあったフリーゲームカドカワが参入してきたり、まだできたばかりだがカクヨムもできたりして、表現の道でプロとしてやり直せるのではという機会を身近に見るようになった。一時期、詩壇周りに自分の居場所がないのならあえてそんな狭い世界に執着することもないのだから、アニメやライトノベル等もっと華やかでそれで食べていけるし持て囃されもする創作の世界があるのだからどうせならとそういう方向に接近を試みようと思った時期があった。カドカワと言えばそういう方面の最も象徴的な存在と思えた。

 「ユトレピアの伝説」のように1万DL超とそこそこDLも方々でレビューもされ、他にも実況文化の恩恵を受けるゲームも出すことができていた頃だったし、これなら、という思いもあった。時代とのリンクを感じていた。

 しかし……ニコニコ自作ゲームフェス4~5辺りに、敢闘賞くらいには引っかかったり、協賛企業に大賞ではないが優秀作品として採り上げてもらったり、ということはあったがその辺がピークで、まあまたフリゲとそういう外部等の空気自体も変わってきた気もするが、どうもそもそも、自分が幾らそういう方向に頑張った(?)ところで何か違うというのか、やっぱり大賞や協賛賞等とは無縁なのだという思い、カクヨムにしてもそうだが、自分の作品がそういう場で採り上げられる作品だろうか、という思いが強くなり、結局ここは自分の居場所ではないという思い。

 硬派と言っても「ユリイカ」「現代詩手帖」のようなとこにも居場所を得られず、カドカワ系列のようなとこにも居場所を得られず。一体どこに自分の表現が最も需要と供給を満たす場があるのだろう。

 時代とのリンクを感じたのも、私にとっての束の間の夢、に過ぎなかったのか。

 とは言え、こう書いたものの今は新作さえ作れない状態になってしまい、やっていることは過去の作品の整理だし、これで居場所どうのこうの言っているのも変な話ではあるのだが…… だがいずれこの作業にはけりを着けて、再び創作を再開していくことになるのでまあその時の話ということではあろうけど……。